雑誌取材記事~小鳥の森の歴史~

  • 標高千百メートルの台所

  時刻は程よくお昼どき。先ずは小鳥の森のレストランと名付けられた古い民家におじゃまする。下足場に並んだたくさんの長靴。雪が固まったままの靴。小さな水たまりをつくる靴もある。部屋が少し煙っているのは、カンカンにおこした炭で魚を焼いているからだ。ああ、今日もたくさんの人がここでお昼を食べている。

  ランチメニューはいたってシンプルで、すべておまかせのワンコイン。風が心地いい季節は森の中で。そして雪の時期には薪ストーブのある暖かな部屋へどうぞ。さあ、好きな場所へ座れば、お皿がどんどん目の前に並ぶ。それは、横文字のカッコイイ料理じゃなくて、炒め物とか煮物とか、いわゆるおそうざい。お皿もお椀も不揃い。それがなんだか知り合いの家みたいで、ほっとする。ご飯もお味噌汁もおかずだって、好きなだけ食べていい。時間だって無制限。お茶にコーヒー、時には果物や甘いものも食卓を飾る。

  そう、ここには、普段の食卓があって、おだやかな空気がある。みんなが自然につながっている。それが、霜田初子さん、そして萩原美智男さんのめざす苑。こころ苑だ。

  • シェルターとして集いの場所として

  こころ苑は、1700坪というとても贅沢な敷地の中、台所や食堂のある平屋建ての母屋を中心に、少人数向けのコテージや団体で泊まれる宿舎、薪でたく大きなお風呂、畳敷きの読書室といった施設が点在。ただし、ここが一般的な観光施設と異なるのは、これらの施設を乳幼児や子どもの一時預かりをはじめ、老人のデイサービス、そして、弱者のためのシェルターとして機能させているところにある。

  弱者とは、たとえば家庭内暴力の被害者、幼い子どもを抱えて離縁され、途方に暮れている女性、両親から虐待されている子ども、引きこもりの子ども、望まない施設へと入らざるを得ない高齢者だったりとさまざまで、事情はもとより年齢や性別、さらには国籍を問うこともせず、まさにボーダーレス。 

では、こうした弱者専門の福祉施設なの?というと、それも違う。軽井沢と草津温泉の中間にある北軽井沢は古くからの別荘地。大勢の観光客や別荘客が訪れる高原リゾートとしても有名で、ここ数年リタイヤを機に夫婦で移住というケースも増えている。このような人たちも、こころ苑にある小鳥の森のレストランや宿泊施設を利用できるし、地元の女性たちがちょっとした息抜きに遊びにやってくることもある。

  もとより、ここは○○専用ですよ、ここを利用するためには所定の条件を満たす必要がありますよ、といったしばりが何もない。「来たかったから」あるいは「行く場所がどこにもないから」。それで十分。お客さんがいる限り苑の灯りを消すことはないし、朝早く戸をたたく人がいれば、椅子をすすめコーヒーをすすめる。

「私はなんの疑いも持たず幸福に育って、いつも快適な居場所を与えられていたの。その私が今度は居場所になったんだよ。」と、霜田さん。群馬独特のイントネーションが耳に優しいなあ。

  • 福祉の世界へ

  霜田さんは、現在64歳(※2013年現在)。生まれも育ちも地元の、いわゆる在所の人だ。結婚後自宅でエステティックサロンを開業し、それが軌道に乗りはじめてきた頃、大好きなお父さんが脳梗塞で倒れるという思わぬ形で転機が訪れる。介護に専念するためサロンは閉めた。迷いはなかったのですか?

  「もうダメかってお医者さんが言うぐらい。でもね、私が行くと笑うの、父が。だから後悔なんて一つも」。その後お父さんは奇跡的に回復するが、視線の先にはエステとは別のものが見えていた。

  ’01年、群馬県が主宰する男女共同参画社会に向けての啓蒙啓発事業「県政参画講座」に参加した霜田さんは、4人の仲間とボランティアグループ「子育てエンジェルス」を立ち上げている。子育てエンジェルスは「女性が安心して働ける社会の実現、また、人類保存と未来社会の構築にとって、子育てが非常に重要である」という考えが基本となっていて、これは霜田さんのぶれない信念。そして’04年の春、行政から「預かってほしい」と依頼された母子との出会いが、さらに彼女の背中を押した。

  若年での出産と離婚。育児放棄と虐待。そして何より母親自身の生きる気力の希薄さ。親からも行政からも見放されたその母子を、もちろん霜田さんは無条件、無償で受け入れる。寝食を共にし、子どもをあやして若いお母さんの心の闇に寄り添った。そして、そうすることで直面したのは、保育園を必要としている子どもがいるのに、保育園のない町に自分がなんの疑問も持たずに住み暮らしていたという事実。行政の手からもれてしまう人が、いかに多いかということ。

  「今、手助けするだけではだめ。お母さんと子どもが、10年後に幸せでいられる受け皿が必要なんだよ」。霜田さんは、子育てエンジェルスの次の段階として、NPO法人化を視野に入れての「こころ苑」をスタートさせる。考えが甘いと言われてもいい。これだから素人は、とあきれられても仕方ない。お金はなんとかなる。欠けてはならない一番大事なものは、「ここだよね」。取材中霜田さんは、胸をこぶしで何度も叩いた。

  まだ歯も生えてない赤ちゃんが、こっこちゃん(はつこちゃん)と、自分に必死に話しかけてくる。そのまなざし、笑顔だけで十分だったから。こころでつながっていたから、こころ苑!

  • お金じゃない。でも、お金はいる。

  こころ苑に欠かせない人が、もう一人いる。こころ苑の開拓場所を仲介した萩原さんだ。最初の家が貸主の都合で契約打ち切りになった時、「じゃぁ、ここでどうでしょう」と、萩原さんが案内したのが、今のこの小鳥の森だった。 

以前貸しコテージ村として機能していたその森は、整備しなおせばいい別荘地になる。それを月3万円という家賃で快諾。子どもたちが森を冒険できるように、できるだけ自然を残して整備をした。そして既存の古民家を利用して、陽ざしが降り注ぐ明るい部屋をつくった。さらに、少しでも収入源になればと、ある提案をする。「私の会社にいる大工連中のために、まかないをつくってやってくれませんか?」

  ただでいいという霜田さん、有償でという萩原さん。

押し問答の末、1人あたま5百円でのまかないがはじまった。そう、これが小鳥の森レストランのワンコインランチの誕生秘話。そして、こっこちゃんが苑の収支、お金について向き合う第一歩。

 実は苑を続けていくために、霜田さんの持ち出しは月10万円を超えていた。お金じゃない。でもお金はいる。自身は既婚の主婦でもあり、貯金を崩すしかすべがなくて、それを知った周囲からは当然のことながら反対の声も上がる。「役場の人でさえ、霜田さん、もっとお金をとらなくちゃダメですよって言うんだよ?黒字にしなくっちゃって」

  ありったけの貯金を注ぎ込んで、とうとう夫の反対にあったとき、お父さんが言った。「これは霜田の家がしたかったこと。願っていたことだ」。だから止めてくれるな、と。「帰還兵として何人もの死を見てきた父は、生きている人にできるだけのことをしてあげたかったんだよ、きっと」

  • 次世代へつなぎたい

現在こころ苑は株式会社クオーレになり、老人のためのデイサービス行う資格も取得している。スタートから8年。いく人もの赤ちゃんや子どもたちが、霜田さんに抱っこされ、そしてこの森を巣立っていった。霜田さんに取材をお願いしたとき、「ね、すごいの。レストランの収益で、一人分のお給料をねん出できるんだよ」と、喜ぶ声があった。地元の母親たちが、遠くにパートに行かなくても、地元で働けるよう働き口を増やしていきたい。それも霜田さんの願いだ。地場産の赤米や黒米、目に薬効のあるメグスリの木のお茶販売を始めたのも、少しでも苑のために現金を増やしたいから。地域に役立てたいから。

  自分たちの時代は全部持ち出しで、一円も残らなくても構わない。とっくに腹はくくっている。けれど、正直衰えていく体力に、いつまでもこの状態を維持できないであろうことにも思いが及ぶ。次世代にどうやってこの苑をつないでいくか、いけるのか。これが今後の課題だ。里親として子どもを引き取り、成人するまで見届けてあげたい、という新しい思いもある。

  萩原さんは、自然エネルギーを利用した冬でも暖かい家を構想中だ。膨大な光熱費に頼らずとも、冬場に快適に過ごすことができるとしたら?家だけでなく、そのシステムを畑に利用できれば、冬だって農業ができるようになって、仕事が生まれる。そうすれば、若い定住者が増え、子どもが増える。この森が、世代を超えたみんながいっしょに暮らせる森になる日が来るのかもしれない。

  こっこちゃんは、台所に立つ。時には子どもをおんぶしながら。時には、おじいちゃん、おばあちゃんと話をしながら。今日も山積みの食材と、汚れたお皿との格闘だ。でも、いつも笑っている。

  「おいでよ、私はここにいるよ」

レストランの利用者として最初に訪れたのは、今から8年前のまだ苑がスタート間もない頃だった。当時廃屋だったコテージが、今はすてきな宿泊施設になっている。木も増えた。小鳥の餌台もあちこちにある。子どもを受け入れたことがきっかけで、森全体が息をふきかえし、ここに集う人が今度は森によって心を取り戻す。霜田さんがふと口にしたことばが、いつまでも心に残った。「ね、循環と共生なんだよ。森と人の」

 

(雑誌取材記事より転載。文/黒川弘子さん)

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